冷凍食品の餃子をフライパンで調理しようとした時のこと。
裏面を見て作り方を確認。
おや。
(σΦДΦ)σ!!!
そうだったのか!
これまでそこそこ料理をしていましたが、「中火」ってそういうことだったんですね。
なんとなく、そこそこの火力のことを中火だと思っていましたが、定義があったとは。
今日の豆知識でした。
パラグライダーをやることになりました。
前々からやりたいなーと思っていたのですが、なかなかきっかけはなく。
では何故やることになったのか?その流れは以下の通り。
友人のツイッター「いつかパラグライダーやりたい」
(σΦДΦ)σ「私も行きたいんすわー。計画立てましょう」
これだけです。
この、最初の発言がすごく大事なんだなーと、思います。
やりたいこととか、興味あるものとか、そういったものを発信すると、誰かからリアクションをもらえる可能性があるんだなと。同士が増えるといいますか。
そして当然ですが、何も発信しないと、いい情報は教えてもらえないんだなと。
例えば、英語を勉強しようと思った時に、「英語を勉強しようと思っている」と発信すれば、「この方法はいいよ」「このテキストはいいよ」という情報が入ってくる可能性が出てくるじゃないですか。
上の発言で、「どうせやっても無駄だ」といったネガティブなものがあるかもしれないけど、いい効果の方が大きいなと。
なので、自分もどんどんいろいろ発信していこうと。思いました。
しまなみ海道をサイクリングしたいし、プロレス観に行きたいし、仕事で英語を使いたい。
有益な情報などありましたらぜひ。
タイトルの通りです。
こちらをどうぞ。
ルーキーが初登板した時を、裏方から撮影した動画です。
動画の中で3回迷子になってます。
①アンダーシャツを着替えるためにロッカールームに戻ろうとした時
②その後にロッカールームからグラウンドに戻ろうとした時
③投げ終えてロッカールームに戻ろうとした時
「ロッカーどこでしたっけ?」「試合どこでしたっけ?」「球場どっちですか?」
などなど。
何回見ても面白いです。本当にここまでの方向音痴の人っているんだという衝撃。
こんな目撃談も。
熊原くんにがんばってと声をかけたら、入口分からないんですけど、と訪ねられた(°▽°)
— con☆ (@con33nico) May 21, 2016
まじウケた(^w^) pic.twitter.com/uwgngiXPpa
他にも調べると天然エピソードがぽつぽつと…
怪我もありなかなか1軍に定着し活躍!とはなっていないですが、頑張ってほしい選手の一人です。
「…植田さん、思い切ってTBSを辞めて、バリでヤキソバ屋でも開いた方が幸せかもね」とつぶやいた。
飲みながらこんな話題になり、その後本当に焼きそば屋を開くために奮闘するという、くだらなくも笑える話です。
面白いからやってみようという軽さで、どんどん本格的にすすめていくという、水曜どうでしょうみたいな感じで、しかし本当に現地で焼きそば屋をオープンしてしまうという。さくらももこ調で毒がありつつも、人に助けられたり足を引っ張られたりしながら、奮闘するお話です。
私が一番気に入ったのは以下のシーン。
当時、鳥インフルエンザが流行っていて、さくらももこがタミフルを必死に探して手に入れるものの、友人の分までは手に入らず、いざという時は自分の分を諦めて友人に渡せるか…という葛藤をした、というのが本文にあり。以下はあとがきにて。
今回、タミフルのくだりを書いている時、私は真剣に悲しくなった。もしも本当に全員新型インフルエンザにかかり、誰かの分のタミフルが足りなくなったとしたら、一体誰が助からないのだろう……と思うと考えたくなかった。
その原稿を植田さんに見せると、植田さんは「さくらさんは、今まで十分いい事があったんだから、さくらさんのタミフルをオレに下さい。もういいじゃないですか」と言った。
おまえはもういいから死ねと言っているのだ。あたしゃ驚き、ふざけんなこの万博野郎と思ったが、かろうじて沈黙を守り、もしもの時は植田さんにタミフルをあげるのはよそう、と心の中にメモをした。
「万博野郎」というのは、植田さんが万博に似ている(よく考えると意味が分からないですが)というのから来ているフレーズです。
こういう、人間らしい身勝手なやりとりに対して毒を吐くのが、実にさくらももこさんらしいなぁと。一人で爆笑していました。
さくらももこさんの本はほとんど持っているつもりでしたが、探せばまだまだありそうなので、また頑張って集めます。
高校3年生の時の思い出。
当時、一般的な受験生のように、大学受験に向けて毎日勉強を頑張っていました。
自分の行きたい大学が、センター試験で8割くらい必要なところで。夏休みくらいからずっとセンター対策の勉強をしていたのですが、なかなか点数が上がらず。
冬休みくらいになっても7割をなかなか超えず、かなり追い込まれていながら勉強していました。クリスマスくらいに受けた模試の結果が65%くらいで、ものすごいきつかった思い出。
で、センター当日。
なんとか二日間を乗り切ってから、予備校に戻って自己採点をしたところ…
奇跡的にうまくいき、なんとか8割を超えました。嬉し涙を流す私。
周りの友人とも点数を報告し合い、だいたいみんないい点数だったと。よかったよかった。
その時の友人Aが、87%くらい取っていて。わーすごーいとなる私。
私「いやーそれだけ取れるの羨ましいわー」
A「いやーこのくらい全然だよー」
私(……全然と言われるこの点数を取るために、夏休みも冬休みもずっと勉強してきたのにな…)
友人Aの発言で、嬉しさが2割くらいなくなってしまった悲しみ。
謙遜もいきすぎると美学ではないなぁというのを深く思いました。
自慢するのもあれだけど、嫌味にならないくらいの自慢ができればいいなぁと。
ちなみに、センター試験で全力を使い果たした私は、そのあと1週間くらい熱を出し寝込みました。なので二次試験はかなりぼろぼろでした。
でも後期試験(センターがかなりの比率を占める)でなんとか第二志望大学に入れたので、結果的にはセーフ。